谷下山窟より発信する現代瓦版


by 05594
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山男三方分山に登る

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山男畏友タカヤマ・ノボル兄からメールがはいった。100名山踏破で、しばらく休憩するのかと思っていたのだが…。
(小声でいうが)兄はオレよりはほんのちょっピリだけ遅い19□6年生まれである。もちろん平成生まれではない。
今日は山梨上九一色村の三方分山(1.422m)に。天気のはずだったのですが曇っていて富士山は顔を見せてくれない。帰り道が混まず20時に帰宅できた。

1.三方分山遠景
2.仲間達 
3.仲間達全員で 
4.廃屋が何軒も 
5.与謝野晶子の歌碑
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                   ↑
この写真で見ると、筑波山にどことなく似ている山容である。

三方分山(1422メートル)は 富士を取り囲む山々の北西隅、精進湖を抱いてそびえる静かな山である。
その名のように、3つの村境の山で、現在では下部町と上九一色村の境界であるが、古くはこの山頂は上九一色村、下九一色村、古関村の3村の境界であったという。

 上一色村とは、ここでオレが説明するまでもあるまいが、オウム真理教の施設(サティアン)があった山梨県上九一色村である。ただし平成の市町村合併で、現在はその村名はなくなってしまったらしい。
小生が持っているワイドミリオン「全日本道路地図帖」1995年版(定価3,800)では調べても全然判らなかった。
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タカヤマ兄のメールに、このような「廃屋」が何軒も…とある。この家を見ていると戦前・戦中の山国の生活がちょうどドラマを見ているような錯覚に陥る。戦争中は、いったいどういう生活で、B29の爆撃はなかったのだろうかなどと…、そんなことを考えるオレはやっぱり古いんだなぁ。
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わが村も、何右衛門、何左右衛門、何兵衛という屋号が今でもあって、符牒のようなものだ。吾々熟年者にはその方が分かり易く日常平気で使っている。しかしこれからの若い人たちには、全く使われなくなってしまったようだし、その必要もあるまいと思う。
ボクが小さい頃だって、自分が屋号で呼ばれるのは、非常に嫌だったことが思い出される。



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秋の雨
 精進の船の上を打ち
  富士ほのぼのと
   浮かぶ空かな
      与謝野晶子


 石碑の現物を見ていないのでよくわからないが、与謝野晶子がいくらなんでも、こんなパソコンで書く年賀状の宛名ような字は書かなかっただろうと思う。
石碑の裏側には大抵この歌碑建立に至った経緯なども刻まれているだろうが、晶子の字ではないことは間違いないいとボクは思う。
何もボクは、この句碑にケチを付ける考えのエントリーでは毛頭ない事を断っておく。
だが気になる書体でもある…。


タカヤマ兄に
度々貴重なメール有り難う。無断でこの「TANISHITA通信」に公表していることを、お詫び申し上げ、お礼旁々、益々の健勝を祈る。 そんでわ。
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by 05594 | 2009-12-14 10:00